渡辺麻友の王道・保守は、最も過激である

中沢健くんが渡辺麻友を擁護していて、好感が持てる。

「まゆゆは狂気を秘めている」
「本来のヲタクキャラを隠している」
「等身大のキャラではなく、テレビ的ではないがゆえに、まゆゆが1位になったのは、予定調和を壊している」

素晴らしい分析だ!

特に最後の「等身大キャラではない」という指摘は、わしが『AKB48論』で「大衆化」を批判したのと、通底している。

宇野氏はこれを「昭和」の感性と言ってたが、だったら、まゆゆ1位に歓喜したファンも、AKBの初期メンバーたちも、すべてが昭和の感性だということになる。

テレビ大衆的に、キャンディーズで伊藤蘭がセンターになったときから、等身大キャラが大衆向けとなるアイドルの流れは始まっていた。

だが今回のまゆゆは、その流れを止めたのであり、これは王政復古の明治維新にも匹敵する革命である。

そもそも「王道」「正統」「保守」という言葉を、退屈と捉える感性が戦後民主主義的で古い。

本物の「王道」や「保守」というものは、リベラルより、はるかに過激である。
わしはそれを『大東亜論』で描いている。

戦後リベラルに洗脳された人種には、渡辺麻友の凄みがわからないのだ。

それから秋元康氏が「残るのは指原と峯岸」とか言ってるが、否と言っておく。

渡辺麻友が残るだろう。

芸能界の流れを昭和から分析すれば、
もう見えていることだ。

http://yoshinori-kobayashi.com/5100/
中沢健さんの動画はこちら

http://youtu.be/tGfepFWGJJA